甘夫人

劉禅の母

 劉禅公嗣の母親ですが正妻ではなく側室でした。ただ、劉備玄徳との付き合いは側室になる前からあったようなので正妻である糜夫人からはそれなりに敬意をもって接してもらっていたようです。

 その割には子供が一人しかいないんですが、多分、記録に残ってないだけで居ないことは無いんではないかなと。なんせ劉備は流浪の上に妻子を置き去りにしたことが何度かあるので……w ちょっとまとめてみましょうか。

185年頃 劉備、黄巾の乱の功績で官職につくも、ちょっとしたことで腹を立てて辞任。流浪へ。
?年 別件で功績を上げて官職につくも、またしても短期間で辞任。
?年 別件で(?)官職に。こちらはまともに務める。
191年 敵軍(反董卓連合に参加していたのでおそらく董卓仲穎の軍)に敗れて公孫瓚伯珪の元へ逃亡。
194年 劉備、陶謙恭祖の援軍のため徐州へ。
196年 呂布奉先が頼ってきたので迎え入れると裏切って、妻子が捕らえられる。
同年 呂布と和睦し小沛へと移るがまた攻められ敗走。劉備、曹操孟徳を頼り、援助を取り付けて再び小沛へ。
198年 呂布の攻撃により小沛陥落。妻子がまた捕虜に。曹操の協力で呂布を撃破し許昌へ。
?年 劉備、袁術公路討伐の為、三度小沛へ。
199年 袁術死亡。劉備はそのまま徐州に残りそこで反乱。怒った曹操に攻められて関羽雲長と共に妻子が捕らえられる。劉備は袁紹本初の下へ。
201年 袁紹の命によって、劉備は劉辟の援軍の為北の果てから中央らへんの汝南へ。曹仁子孝に撃破されたためまた北へ。
同年 袁紹の命によって、劉備は再び汝南へ。ただし、袁紹の敗北を感じとったため、劉表景升を頼ってもうちょっと南の荊州へ。
208年 曹操、荊州を攻め、劉備は妻子を置いて逃亡趙雲子龍が命がけで何とか救出。

 甘夫人がいつごろから劉備と一緒にいたかは不明ですが、少なくとも196年には側室になっていたようなので、そこから数えても4回ほど大きな敗戦を味わっており、よく頑張ったなぁと……w ついていくだけでも大変ですよほんとw

外史

横山三国志

 奥方などという名称でちょいちょい顔を見る気はするんですが、これが糜夫人なのか甘夫人なのかは不明です。横山三国志ですと、劉備の嫁というと孫尚香の方が印象が強いですからねぇ。

蒼天航路

 中盤あたりからちょいちょい登場します。3人ほど囲っていたんですが、その中で一番目つきのきつい美人さんでした。特に何か活躍したという事もなく、いつの間にか病死していました。

一騎当千

 登場しません。まぁそうだな。

恋姫†無双

 こちらも登場しません。エロゲだから出てもいいと思うんだけどw

三極姫

 こちらも出ませんな……w

関連人物


  • 最終更新:2016-10-23 11:06:43

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