曹丕子桓

魏の初代皇帝

 曹操孟徳の息子にして、魏の初代皇帝となった人物です。実は長男ではありませんでして、戦死した兄と、病死した兄を持ちます。元々は妾の子だったのですが、兄が相次いで亡くなったことと、正妻だった丁夫人が離縁したために、母の卞氏が妾から正妻になったことなどが相次ぎ後継者として見られるようになりました。

 11歳の時から従軍していたとのことですが、兄、曹昂子脩の戦死した時期と重なるので、後継者であろうとしたのかもしれません。ま、この辺りは予想でしかありませんが。

 父が魏王と漢の内部の役職であったのに対して、自身は漢から正式に皇帝位を受け継いだため、暗いとしては父よりも上にいきました。しかし、この行為が帝位の簒奪であることは事実なので、三国志演義では父親同様に悪人としての役割を押し付けられることになります。また、正史においてもやや性格に難があったらしく、酷評されることもあります。魏を正統とする正史においてなお非難されるほどですから、よっぽどだったんでしょう。

 ではちょいと細かくエピソードを見ていきましょうかね。

お嫁さんと息子

最初のお嫁さん

 お嫁さんは袁煕顕奕の妻だった甄氏を戦利品として手に入れました。204年ごろに、父である曹操が冀州を攻略しており、このとき、曹操は城に誰も入れないよう通達を出していましたが、曹丕はそれを無視して上がり込み、甄氏を見初めたという事らしいです。当時17歳ぐらいですから、女好きの曹操の血筋らしい行動だなぁとw

 で、息子に曹叡元仲がいますが、没年齢からの逆算では204年生まれになるため袁煕の子供だったんじゃないかという噂がちらほらございます。まぁ、34の誤記だろうというお話でありますが。親子の仲があまりよくなかったというのもこの噂に真実味を与えてしまっているのかなぁというところです。

二人目のお嫁さん

 二人目のお嫁さんというか、妾さんなんですが、この人は郭皇后って人でして、元々は裕福な家だったようですが、父親の死で没落してしまい、召使として働いていたそうで。その際に曹丕が妾に迎え入れたという事のようです。

 甄氏が余計なことを言ったために曹丕に殺害されたのち、この人が皇后になりましたが、子供に恵まれなかったらしく、曹叡が次代の皇帝に即位しましたと。

徹底した合理主義

 父親の曹操もそうでしたが、曹丕もまた合理的な面を追い求める人でもありました。

曹操 「戦時であるから喪に服す期間は短くし、墓に金銀を入れてはならず」
曹丕 「玉衣や陶芸品などの副葬品は一切不用、庭園や参道を造ることなどは論外のこと、墓を飾ったり、床を敷いたりすることもしてはならない。人は死ねばみな等しく骨となり、骨はもう痛みなど覚えることはないのだから」

 夏候惇元譲の墓でも埋葬品が剣一本とかいう話ですので曹操の影響みたいなものもあるのかもしれませんな。

 曹丕の遺言には、「過去現在に盗掘を免れた墓などというものはなく、未来永劫滅びることのない国などというものも有り得ない」と書かれており、合理主義というか現実主義な面が強く出ているかと思います。200年頃、日本なら弥生時代ぐらいですが、この頃は今よりも迷信が多く、王朝なんてものは永遠を願われるもんです。ましてや初代皇帝ともなれば永遠の繁栄を願いそうなものですが、「未来永劫滅びることのない国などというものも有り得ない」と言い切れるのは曹操の血筋らしい考え方だなぁと。

 元々、曹操が儒教に対して疑問を持つ人で、それが故に反儒教的な行動が目立ち悪役とされてしまいましたが、これは合理的な面を追求したが故とも言えます。なんせ三国時代は乱世ですから、徳による王道の治世からはそもそも遠く離れているっていう現状が横たわっている訳です。また、儒教が官学として漢に取り入れられた事により出世の道具となっていた一面もあり、この面では儒教が言うところの「義」(利欲に囚われない)から儒家は遠ざかっていると言ってよいかと思います。

 儒教は人としての理想的なあり方の一つではあるのですが、国の政治となれば、人の命を足し算、引き算せねばならない側面が多々あるわけでして、人として理想的なありようと、国として理想的なありようは相容れない部分が多々現れます。そういった側面は合理的に判断すると、無駄として切り捨ててしまうのもやむを得ないかなと思いますし、先代がそういう人であれば、当然、その息子である曹丕もその影響を受け、合理的な考え方を持つようになるのは自然なことかなと思います。

文才と後継者争い

 留守を預かりながら、反乱を鎮圧するなど、部隊を指揮するひとでしたが、文才もあったようで、父の曹操、弟の曹植子建と共に三曹と呼ばれ、一流の詩人でもあったとされています。

 当時の文学は、儒教の影響のために一定の型が決まっていましたが、この型は事実だけを述べるようなものであったために、文学というよりは文書と言ったほうがいいのかもしれません。これに感情表現を大いに取り入れた事により、中国の文学は大いに進歩します。

 曹丕の作品は日本の教科書にも取り上げられるレベルのもので、彼自身、「文章は経国の大業にして不朽の盛事なり」と、文章の偉大さを追い求めていたようです。

 こういった才能は、父曹操から受け継いだものでしょうが、もう一人、同様に父親から才能を受け継いだ子供がいました。同じく三曹が一人、曹植です。曹操が年をとるにつれ、才能ある二人の間で後継者争いが勃発します。最終的に曹丕が勝利し、曹植は辺境の地に追いやられるわけで、ここを取り上げるとあたかも兄弟の仲が悪いように見えますが、実際のところはそうでもなかったようです。

 元々曹植は才能はあれども素行が悪く、人を統治するような人ではありませんでした。カリスマではありますが、政治をするには不向きです。また、後継者争いが始まったとはいえ、曹丕はすでに正式な世継ぎとして指名されていましたし、留守を預かるなどの実績を残しています。結局のところ、後継者争いで騒いでいたのは取り巻きの人間で、当の本人らが真に受けていたかどうかはやや怪しいところであります。

 袁紹本初の後継者争いでは、取り巻きに持ち上げられる形で、当事者、特に3男の袁尚顕甫が真に受けてしまったのと、きちんと後継者を決めていなかったという2点が災いして完全に分裂してしまいました。機をみては寡兵でもクーデターを起こす時代ですので、もし、曹植が真に受けていたならばもっと大きな事件に発展していたと思います。曹植自身、文才の人ではありますが「男子たるもの武勲を挙げてこそ本懐」と言い切る、血の気の多さがありますので、本気にしていればクーデターなりを起こしたでしょう。

 後継者争いの後、曹植を辺境に左遷したのも、漢という国が皇族や外戚、宦官などなど、一族で権力を掌握しようとしたがために腐敗した側面が強かったので、それを改善しようとする試みであったと見たほうが正しいのではないかなと思う次第です。

治世

 220年から226年という短い期間ではありましたが、曹丕の治世は比較的安定していたようです。

 この頃は魏呉蜀の三国がお互いの隙を伺いあう状況で、曹丕の在位期間中、一番攻撃をされていたのが呉でしたので、魏や蜀にはそれほど隙が無かったのではないかなと思われます。また、曹丕が死亡した翌年の227年に、諸葛亮孔明が魏への攻撃を開始しますので、曹丕の死が魏の隙になるほど治世が上手くいっていたと言えると思います。

 ちょっと三国の出来事を年表にしてみてみましょう。

220年 曹丕、皇帝になる。
221年 劉備玄徳、蜀漢の皇帝になる。
孫権仲謀、曹丕に臣従し、呉王に封ぜられる。
222年 劉備が呉を攻めるが大敗。(夷陵の戦い)
劉備を追い返したので、孫権は魏から独立。
曹丕、呉を攻撃するも疫病により撤退。
223年 劉備死去。劉禅公嗣が2代目に。
224年 曹丕、呉を攻撃するが防壁(偽)が頑強と判断し撤退。
225年 諸葛亮、南蛮討伐。
226年 曹丕死去

 即位している間、攻めることはあれども攻められることは無かった辺り、内政が充実しており、政治が安定していたことの裏付けなのではないかなと思います。

外史

横山三国志

 曹操の後継者争いの下りのあたりから登場してきます。曹植に詩を朗読させたり、帝位を奪ったりという活躍を見せます。あとは呉に侵攻する命令をだす程度です。在位期間が上記の表のとおり短く、その間には孔明が南蛮討伐を行っているため、それ以後の出番は死ぬまでなかったと思います。

蒼天航路

 外史の中では、おそらく一番出番が多いと思います。

 初登場からしてエロシーンっていうのがまぁ、蒼天航路らしいというか、曹操の血筋らしいというかw 甄氏を戦利品としてお姫様抱っこをするところが初登場だったと思いますが、このシーンもどちらかというと曹操の興味を持った人間に対する執着というか、そういう部分が際立つシーンだったなぁと思います。

 全体的に冷静沈着で、嫡男らしく偉そうなそぶりを常に見せる、冷血な人物として描かれていると思います。ただ、大体の嫡男ってこんな感じに描かれてるんで、曹丕だけ特別偉そうかっていうとそうでもないと思います。

 出番こそそれほど多くはありませんが、色々な物事を客観視しようとする性格などは、よく調べているんだろうなぁと思わせてくれる良脇役だなと。

 思い返してみても、お姫様抱っこ以外にも、余計なことを言って曹操から思いっきり怒られるシーンや、魏風子京の粛清、太子になった際の最後の親子の会話など、登場するたびにピリッとした名シーンになっていると思います。

 弟の曹植が友人との交友関係の描写が多いのに対して、曹丕の場合は部下や客人との対話が多いのも面白い対比ですね。

一騎当千

 特に登場しません。まぁ、仕方ない。阿斗が登場してるんで可能性は無くはないですな。

恋姫†無双

 こちらも登場せず。

三極姫

 同じく登場せずです。子供はねぇ。

関連人物

兄弟

子供


  • 最終更新:2017-03-11 11:10:28

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