曲:魏武の強


歌詞

自分が愛する人の 笑顔を引き裂いても
歩いている限りは 譲れない道がある

笑顔の数だけ涙があって
人しれず流れる雫を受け止めて

嫌われても 恨まれても
そこに未来があるのなら
嫌われても 恨まれても
自分の行く道 背中で語る

君が生きてゆくことは 意見の戦い合いで
崩れ落ちた膝が立つために 今あえて悪になる

笑顔の数だけ涙があって
人しれず流れる雫を受け止めて

嫌われても 恨まれても
そこに未来があるのなら
嫌われても 恨まれても
自分の行く道 背中で語る

笑顔の数だけ涙があって
人しれず流れる雫を受け止めて

嫌われても 恨まれても
そこに未来があるのなら
嫌われても 恨まれても
自分の行く道 背中で語る

解説

「哀愁漂ってますね!」

 いろいろあったんだよw 主にMMDと某ゲームの変換についてw まぁ詳しくは直接ちよろさんに聞いてもらうとして、本題に入ろうと思いますよw

魏武の強ってそもそも?

 魏武王ってのがそもそも曹操孟徳を示す単語で、代表的なものに孫子が挙げられます。現在孫子として伝わっているものは「魏武註孫子」と呼ばれるものでして、魏武、すなわち、「曹操が註釈を入れた孫子」を指します。

 んで、魏武の強っつーのは、黄巾賊の残党である青州黄巾賊を兵士と迎え入れたところからを指します。ま、平たく言ってしまえば兵士の強さ、武力の強さということですな。

元は弱小勢力

 光栄の三国志シリーズなどにおいてはチート級の強さを誇る曹操ですが、旗揚げ当初は弱小勢力の一つにすぎず、黄巾の戦いにせよ、董卓の戦いにせよ、噂は聞けども中核をなすような大勢力ではありませんでした。おそらくは、当時の大本命は袁紹本初であったと思われます。

 この弱小勢力が他の勢力と互角以上に渡り合うきっかけとなったものが、この青州黄巾賊の受け入れです。以後、青州黄巾賊は青洲兵として活躍してゆきます。

青洲兵

 青洲兵について熱く語られる作品といえば蒼天航路が挙げられます。

 青洲兵を抱え込んだことでどれほどの戦力が増強されたかといいますと、兵士が30万ほど、非戦闘員を含めると100万ほど増え、このうち精鋭を10万選んで青洲兵としたとのことです。

 曹操は普段は畑を耕し、有事には兵士として活躍する、屯田制をを取り入れていました。ここに100万の民衆が組み込まれ、平時には食料の生産に100万人が従事し、有事の際には30万が兵士となりました。これにより、一気に生産力、兵力が増大します。

 100万もの人間を一気に抱える。しかも、敵対していた相手であり、曹操は黄巾党から見れば憎い官軍の指揮官の一人。これは普通できることではなく、どちらか一方がなにかしら納得できない形での実現となるはずです。ところが曹操はこれを実現させてしまった。彼らを説得させるだけの強さというものが、実は曹操の本当の強さではないかと考えています。

メンタル面での強さ

 魏武という言葉が示す通り、曹操の強さは主に武力に代表されますが、それは個人的な観点ですが、曹操の強さの側面の一つで、最もわかりやすいものが武力、すなわち軍事力であった為に「魏武」と称されたのであろうと思います。この人の本質的な強さは、政治思想や人としての人生を謳歌する姿勢など、メンタル面にこそ見て取ることができます。

 さて、三国志演義において曹操が悪役となっている理由については色々と思い当たる節があるのですが、やはり一番の原因となったのは孔子の子孫である、孔融文挙の殺害が大きいと思われます。孔子の立ち上げた儒教の影響は近代まで及んでおり、それだけ人々の生活に根ざしたものであったと言えます。対する曹操は、そもそも儒教というか儒学者が嫌いでした。

現実とのギャップ

 儒学は徳による王道で天下を治めるべきと主張し、武力による覇道を批判する学問であります。しかし、為政に対して大きな不満を持つ民衆が、農民でさえも武力をもって立ち上がり、王朝の転覆を図ろうとするほど、世は荒れていました。目の前の武力や暴力に対して、徳という、具体性にかける単語で対応をしたところで、世の中が平和にならないのは想像に堅くなく、そういった現実を見ない主張を嫌ったものと思われます。

 往々にして、こういった何もしないインテリ層というものは、弱い人を保護しろとはいうが、自分の私財を投げ打って同じく貧困層に落ちるようなことはしませんし、自分の主張を正しいと信じるあまり、真実と事実の区別をつけず、たとえ論破されたとしても論破されていないと、だから私は正しいと言い続ける人が多く存在します。当時のインテリ層にあたる儒学者が、こういった現実的ではない、夢物語で理想の政治を語り、理想を押し付ける事により、逆に政治の足を引っ張っていたであろうことは、我が国におけます民主党政治をみれば、まぁ、こんな感じでダメになったんだろうなぁという想像が安易にできてしまいます。また、近代史においては、儒の思想が足を引っ張り、中国をはじめとするアジア圏の近代化に失敗したという研究もあるようです。

 だがしかし、それが社会通念でしたし、時の有力者は多かれ少なかれ儒の影響を受けていました。その子孫をこともなげに断罪し、ためらうことなく殺害できるという勇気は相当なものです。三国志演義において伝わる悪名は、おそらくは存命中にもそうとうあったものと推測され、その悪名を笑い飛ばせるほどのメンタルというものは、誰にでも持てるものではありません。

 毒であると判断したならば、たとえそれが社会通念に照らし合わせて正しいものであると思われているものであったとしても、その社会通念そのものが悪であると否定する、悪であると気がつく力、悪名をうけるとわかっていてあえてそれを断罪する勇気は、まさに政治であると、自分は高く評価をしたいと思います。

余談

 余談ですけど、別に儒教そのものは悪いものではないと思います。教義を簡単にいってしまえば、「礼儀正しくすれば人間関係は円滑になるよ」という、至極当たり前の事です。それを勝手に難しく解釈して、古典を重んじるあまり時代にどんどん合わなくなっていってしまった結果、不要なインテリ層が生まれたのではないかと、この辺りは妄想ですw

  • 最終更新:2017-08-16 01:46:51

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