徐晃公明

石橋を叩いて渡る名将軍

 魏の五大将軍に数えられる人で、慎重な戦いを心がけたために大敗しなかった人物です。三國無双でも早い段階から顔ありキャラとなっているほど人気の高い人でもあります。

 曹操孟徳が挙兵した際に付き従った人ではなく、李傕稚然の部下の楊奉の部下でして、献帝を巡る争いの中で曹操へと降伏しました。以後、曹操の主要な戦いではだいたい顔を見せています。

戦績

?年 楊奉の部下になる
192年 献帝と共に洛陽へ帰るよう楊奉に進言し受け入れられる。
196年 洛陽にたどり着くも仲間割れが発生。楊奉に曹操への降伏を勧めるが心変わりされる。10月には曹操に降伏する。
198年 呂布奉先討伐に参加。軍功を上げる。
200年 袁紹本初戦。劉備玄徳顔良文醜を撃破。
204年 韓範を降伏させる。
205年 袁譚顕思討伐に参加。
206年 袁尚顕甫討伐に参加。
208年 荊州攻略に参加。関羽雲長を撃破し、周瑜公瑾からの攻撃を防ぐ。
209年 周瑜の攻撃を防ぎきれなくなったため撤退。
211年 韓遂文約及び、馬超孟起の討伐に参加。
212年 韓遂の残党を撃破。
215年 張魯公祺討伐に参加。
217年頃 街道を断ち切ろうとした蜀軍を撃破。
219年 荊州にて関羽と交戦。これを撃破。
220年 劉封を撃破。
226年 諸葛瑾子瑜を撃破。
227年 死去

 敗戦らしい敗戦が見当たらない辺り、ほんと優秀な人材だなと思いますね。周瑜ぐらいかな。すごい事です。

 スパイを使った情報収集を重視していたらしく、常に敗北時の対策を立てて戦っていたのがこの戦績の秘訣らしいです。

三国志演義では

 劉備玄徳を立てるためでしょう、やや脳筋な武将として描かれます。漢中を攻略する際、背水の陣を脈絡なくしくなど、慎重な性格はどこへやら。この陣の敷き方について副官であった王平子均と意見が対立し、敗戦の責任を擦り付けられた王平は蜀へと降ると言うエピソードが追加されています。

 蜀の将軍を持ち上げるためのいつもの蜀漢正統論ですw 王平は仕方なく裏切った、筋の通った人と見せるための演出で、徐晃の副官というのは三国志演義の創作です。

 また、関羽と同郷であったために交友があり、関羽を尊敬していたという設定がつけられています。出典は蜀記に有るところからかと思いますが、蜀記は裴松之からも作り話が多いと非難されるほどですので、この事実関係はやや怪しいです。

 関羽は曹操に仕えていた時期が有りましたからお互い面識があるのは間違いないかとは思います。事実、張遼文遠と関羽と共に顔良を官渡で撃破していますので、何かしらの交流は有ったかと思いますが、そこまで関羽を尊敬するかどうかは首をかしげる所かと思います。

 これも関羽は敵味方を問わず尊敬される人物とするための演出で、曹操軍で活躍する武将の徐晃をダシにしたと考える方が自然かと思います。

 手ごわい敵として何度も登場した人物でしたが、最後は魏を裏切ろうとした孟達子度の矢によって頭を射貫かれて死亡します。

 余談ですが、三国志演義でこの人が用いる巨大な斧、ハルバードが近い形状ですが、この大斧は当時の冶金技術では作成が不可能ですw オーパーツあるあるw

外史

横山三国志

 横山三国志だとそんなにすごい武将とは思わないんですよね、この人。

 黒の頭巾っていう特徴があるんですぐ覚えましたけど、関羽と仲良しって言うエピソードも出てきませんしちょっとワリを食ってる感はありますw

蒼天航路

 ナマズ髭が特徴で、初登場時は全裸で逃亡って言うインパクトw 屈託のない優秀な部下と言う印象でした。

 関羽との一騎打ちでは李典曼成の忘れ形見である発明武器をフル装備しての対決を行い、なんとか猛将としての面目を保った形になりますw

一騎当千

 ハゲ。僧侶の恰好をして登場していましたが、さして活躍の場が有るわけでも無く。関羽との対決も人質という形で終了してなんとも不完全燃焼な所が有ります。

恋姫†無双

 恋姫†英雄譚からの登場。真名は香風(シャンプー)。シャンプーっていうと水をかぶって……いやなんでもないw

 おっとりのんびりキャラ。

三極姫

 さすがに顔キャラで登場。ステータスも申し分ないんですが、問題は絆ではないため忠誠が下がるっていう点で。その辺りに手を煩わせるよりかは他の武将を使うって言う悲しい宿命が……。

関連人物

 ご子息がいらっしゃいますが割愛します。

  • 最終更新:2017-04-23 10:36:02

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