張魯公祺

五斗米道の指導者

 漢中において、宗教の教えでもって統治をおこなった五斗米道の指導者です。五斗米道は道教の宗派の一つで、そういう意味においては、于吉張角と近い人です。2名と異なるのは、実際に権力を握り、しっかりと統治を行った点でしょうか。

五斗米道

 元々宗教の一家で、お祖父さんに当たる人が道教の教団を作り上げ、その教団を代々受け継いでいたようです。ただ、お祖父さんが作り上げた教団が五斗米道と名乗っていたかどうか、やや明確な資料に欠けるところが有ります。

 明確に五斗米道を名乗ったのは張脩と呼ばれた人で、この人は黄巾の乱に呼応して挙兵し、黄巾の乱が静かになると勢いを失い没落しました。その後はどうやら劉焉君郎に懐柔されたようで、張魯と肩を並べて漢中攻略に出たりしています。

 張魯はこの張脩を殺害して多くの人を奪ったとあるので、恐らくは教団そのものを乗っ取ったのではないかと思われます。

張脩

 考えられるのは2パターンあって、一つは同じ教義を持った分派があって、その正統争いで張魯が勝利したっていうパターンと、もう一つは単純な権力闘争の結果で、まぁどちらも動機のようなものは有ってもおかしくないかなとは考えます。

 劉焉が張脩を懐柔したのは漢中攻略に当たっては漢中に拠点を持っていた張脩が便利だったからであろうという点は恐らく間違いないかと思います。対して張魯は蜀が拠点なので漢中攻略に当てる理由がイマイチ解らなかったりします。

 これもやっぱり同様の2パターンで、元々同じ教義なのであれば話も通しやすかろうという理由からか、張魯が手を挙げた等の出世欲によるもののどちらかです。

 1点問題なのは、張魯の言動をみるに、それほど野望が有ったような人ではなく、民政家としては非常に善良かつ有能な人物だったので、張魯本人の権力欲や出世欲からくるものでは無いのではないかと思う次第でして。その裏にいて張魯を押し上げたのは、母親の盧氏ではないかなと。

母の力

 盧氏はもっそい美人で、巫術師として劉焉の家に出入りしていたことが縁で張魯は督義司馬として軍を持てた訳です。巫術師としてと書いちゃいますが、わざわざ正史に「張魯母始以鬼道、又有少容、常往來焉家」つまり、「またやや容色があった」と書いているので、ひいき目に見ても劉焉に下心が有りますし、ぶっちゃけた話が房中術を通して未亡人とヤってただろってのが透けとる訳でしてw

 母親の権力欲が張魯を押したのか、それとも本家を一つにまとめようとした母の愛なのかは想像の余地がありますが、恐らく、おーそーらーくー、同姓でかつ同じ宗教人で、似たような教義をお互い持っていたっぽいという事は、張魯と張脩はそんなに遠くない親戚で、どちらかが本家だったんじゃないかなと推察されます。

 んで、多分、たーぶーんー、お祖父さんの影響で一族がそんなんに染まって、直系の張魯は本拠たる蜀の山で修行を続け、張脩(もしくはその親あたり)は漢中に布教に行っていた所思いのほか大きくなって増長するわ、お国に逆らうわと目に余るので、母親が一生懸命考えて本来あるべき姿に戻したと。で、その際、名前についてはもう定着したものだし、大勢の信徒を吸収するにあたっては五斗米道の方が良かろう、って言う判断の元、名前を奪ったんではないかなぁと、思います。

 っていうのも、お家争いと宗教の組織の乗っ取りって大きく意味が異なるもので、教祖を殺された宗教なんて、死んだ教祖を崇め続けるか雲散霧消するかのどっちかで、殺した本人を迎え入れるというのは正直、かなり異常です。キリスト教だって黄巾だって仏教だって、教祖はそのままでした。五斗米道のように、教祖を殺した人物の祖父を教祖と認めるのはかなりの異例です。よほど強く主張できる正統性があって、それを納得させるものがないと無理なので、その点、実は張魯が本家の直系で張脩は分家のはねっ返りだったよと証明できたのであれば、無理はないかなと。

 ま、この辺りは史料があまりにも乏しいので想像の域を出んのですがw

漢中制圧以降

 劉焉の引き立てと、張脩を殺害した事で漢中と教団を手に入れた張魯は、劉焉の代の間は劉焉のいう事をよく聞いていました。が、その子の劉璋季玉に代替わりしてからは命令には従わず、漢中郡で独立します。

 張魯が独立したことに劉璋は激怒して、弟と盧氏を殺害してしまいます。で、漢中を取り戻そうと動くのですが、蜀の内部で内乱が勃発したため手が出せず冷戦状態となってました。

 冷戦状態でお互い手が出せない間、張魯はその善政で大きく勢力を伸ばします。逆に劉璋は家臣の掌握にも失敗している有様なので、どちらが優秀であったかは火を見るより明らかかと思います。

 とても豊かで、団結力もあったため下手に手出しが出来ず、曹操孟徳が攻め込むまで独立を保ちました。

 曹操に降伏する際、財宝をそのまま残すなどの神妙な態度が大いに評価され、そのまま曹操に取り立てられます。

 人の話をよく聞き、かつ舵取りにおいて周囲の意見に惑わされない、芯のあるリーダーシップを持った人だったと、個人的には高く評価したいです。

三国志演義

 一方三国志演義では、例によって蜀漢正統論の煽りを受けてマイナス補正をかけられています。主に以下のようなものが理由として挙げられると思います。

  • 劉備玄徳の配下になる馬超孟起が一時張魯に身を寄せ、離れた事
  • 曹操に降伏している事
  • 蜀取りの際、前準備として劉備が張魯を攻めていた事

 以上3点、特に馬超が張魯の下を離れた正統性を持ち上げるために、下げられたと言った所でしょうか。馬超が張魯に失望して離れた、という事にしたいため、正史では災いの種であると判断して退けた漢寧王を望んだり、金に汚い文官、楊松を創作したりと、統治能力のかなり低い群雄の扱いを受けています。

 実際の所、馬超が張魯の下を離れたのは、馬超が何度も失地回復の為に張魯の兵士を借りては失敗したためで、犬死を積み重ねた馬超に対する反感が張魯の配下から噴出したためでした。宙ぶらりんになった馬超を拾い上げたのが劉備で、この下りを正当化するために、貶められた被害者の一人と言ってよいかと思います。

外史

横山三国志

 三国志演義同様、善政を敷きつつ野心が有る凡庸な太守として描かれます。正直な所、印象にはあまり残っておらず、ぽんぽん裏切った楊松の方を覚えている人の方が多いと思います。

蒼天航路

 不老の性質をもった人物として登場します。降伏のくだりでちょこっと登場します。

 曹操より「若すぎる」と評価され、「首を切られれば死にまする」と、母親譲りで外見が年を取らないだけと本人は言っておりました。

 降伏の際に何らかの術らしきものをかけようとしたようなんですが、そこは無敵超人の曹操にはねつけられ、一気に顔が老け込みます。本当に老けたのか、蒼天航路でよくある一時的な表現なのかは、その後の登場の機会が泣いため不明です。

一騎当千

 登場しません。

恋姫†無双

 登場しません。カットしても問題ないからね……。

三極姫

 独立勢力として活躍します。文官タイプなので戦場で活躍させるのはなかなか愛情が居るんですが、お米に関するユニークスキルを有する場合が多く、これがなかなか凶悪だったので愛用できないことはないですw

関連人物


  • 最終更新:2018-06-28 11:50:46

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