張譲

権力に取りつかれた宦官

 十常侍と呼ばれる宦官の代表として挙げられる人物で、三国志初期の混乱は、この人がいなければ起こらなかったのではないかと言われています。

 どういう人だったかと簡単に行ってしまうと、世渡り上手で、賄賂を好んだ公務員、というより官僚とした方が正しいかもしれません。時の皇帝、霊帝の寵愛をいいことに私腹を肥やし、世の混乱を招いたとされます。よって、張譲を重用した霊帝も悪評のそしりを受けることが多いのですが、時代背景をみるにある程度は仕方のないことだったのかなと、感じます。

宦官という仕組みと銅臭政治

 宦官っていうものが何かというと、簡単に言うと、皇帝の身の回りのお世話をする去勢された人、です。なぜそんな人を抱えたかというと、まぁ、これは中国っていう国が陸続きで異民族との戦いを繰り広げてきたっていう歴史がそうさせるんでしょうが、、皇帝にある人は常に自分の地位がそのうち誰かに簒奪されるんではないか、という恐怖にさらされていました。絶大な権力を持つが故、それを求める人は多く、血縁関係にないものはもちろん、親戚、兄弟、果ては自分の子供まで信用することができなかった訳です。

 要は孤独だったわけですな。

 そのなかで、去勢されているが故に子孫を残せない宦官は、権力を与えても一代その人限りですし、その権力も皇帝の下保障されている訳ですからそうそう裏切りはしないだろうと、そういった安心感が宦官に対してあった訳です。また三国志の時代、豪族の持つ権力という物は非常に大きく、これに対抗するために、豪族を使わないやり方をとらざるを得なくなり、結果として宦官の権力が強くなりました。

 この当時は皇帝の常備軍というものは存在しなかったため、その創設、維持のためにお金が必要でした。そのために賄賂が横行し、役職がお金で売買されるという最悪の状況にまでなりましたが、張譲はこの流れに乗って私財を蓄えたようです。買う側も、役人、しかも宦官っていう皇帝に近い人から買う方が信用もできる、っていう事だったのでしょう。

黄巾の乱

 賄賂による政治が横行していれば、権力は正しく使われることがなく、それにより治世というものは大いに乱れました。で、こんな世の中なんとかせなあかんと立ち上がった宗教団体が、太平道です。黄色の布を頭に巻いた彼らは、黄巾賊と呼ばれ各地で反乱を起こしました。この反乱そのものは失敗しますが、この混乱を招いたのは張譲ら宦官であると言いだすものが現れます。

 しかし、そこは世渡り上手な張譲。うまく霊帝にとりいり、告発者こそが太平道の信者とでっちあげ逆に処罰させてしまいますが……いや、お前、太平道の信者やないかと王允子師により暴露されます。実際、賄賂をもらえばなんでもするような状態でありましたから、彼ら宦官は太平道から金銭をもらい、色々と情報を流したり、便宜を働く、内通者となっていました。しかしこの暴露もうまいこといなして、すでに死んでいる人に責任を擦り付けるなど、口がうまかったんだろうなぁと。死人に口なしとはよく言ったもんで。

強化されていく権限と反感

 基本的には権限が強くなると反感は強まるものですが、どちらかというと己の欲望のために権力を行使する人ですから、さらに輪をかけて反感は強まっていきます。結局、こいつはやっぱり排除した方がいいんじゃないかという考えが豪族側に広がっていきます。

 時の大将軍であった何進遂高を筆頭に排斥の動きが強まり、政治的な圧力に対しては世渡り上手な面と宦官という役職のおかげで退けることができたものの、軍事的な圧力に対してはやはり宦官ですので、正面からの抵抗は難しいものがありました。そこで、何進を計画し、これを実行しましたが、何進が普段から部下と親しくしていたため反感が暴発し、宮廷内部へと一気になだれ込まれてしまいます。

 宦官が大勢殺害されていく中、張譲はまだ即位して間もない少年皇帝、少帝弁劉協伯和(後に献帝となる)を連れて脱出を図ります。権力の乱用に味をしめ、それが元でこの混乱を引き起こしているにもかかわらず、なおも権力を人質に取り自身の保身を図る。悪役の鏡ですほんとにw

 しかし、こと目の前の暴力に対しては無力なのが権力とお金。北斗の券でも札束は投げ捨てられました。結局追撃を振り切れず、本人は入水自殺。皇帝と劉協は追撃してきた盧植子幹により保護されました。

三国志演義では

 三国志演義では、より権力の虜のような描かれ方をします。序盤の混乱を招いた宦官グループ、十常侍の中心人物として描かれ、概ね正史と同じような経緯をたどります。

 まぁ、悪い金持ちの手本みたいな形で描かれる人で、これはどの外史でもだいたい共通して悪人です。黒幕的な。

外史

横山三国志

 張譲の印象ってあんまりなかったりするんですよね。十常侍がなんか悪い奴で、張譲とかいう人がいるらしいっていう程度の記憶しか無かったりします。っていうのも、この直後に現れる董卓仲穎の方がインパクトが強くてw

 横山三国志を読んだだけですと、あぁ、宦官の人でしょ? ぐらいの認識になるかと思います。

蒼天航路

 曹操孟徳が主人公という事もあり、外史の中では他に類を見ない登場の濃さを誇っています。というのも、曹操の父親が宦官の養子であり、宦官との関わりが強かった事や、宦官の叔父を警備の妨害をしたという事で処刑してしまうなど、少なからず宦官との対立があったためだと思われます。

 張譲は曹操にとって最初にぶつかる壁であり、倒さねばならない敵として登場します。この辺りはフィクションなのですが、水晶と名付けられた外国人(インド)の子を恋仲になるのですが、この子を張譲が引き取りそれを奪還に向かう、というのが初登場のエピソードです。これは、曹操が張譲の屋敷で暴れたという逸話をアレンジしたもので、なぜ曹操が屋敷で暴れたのかについては不明であったのを、上手く利用した形になっています。

 その後、北部尉(首都の北の門番)に就任してから、前述の宦官の叔父を殺害する事件が起こります。夜中は通らないようにという命令を無視して突破しようとしたため罰を与えたら死んでしまったという話でした。で、北部尉になり部下を持った曹操は、党錮の禁と呼ばれる事件について調べさせます。

 党錮の禁とは、簡単に言うと宦官による弾圧です。汚職を横行させていた宦官に対し、それでは国政がままならなくなると、賄賂をほいほい受け取んなというような批判をした一派を「朝廷に対する批判」として禁錮刑にしたものです。

 この党錮の禁を宦官による治世の乱れとして、霊帝に直接上奏したりと、社会的な闘争を繰り広げていました。

 その後黄巾の乱が起こり、張譲は一旦舞台から舞台裏へと影を薄めますが、乱の終結後、正史同様に何進殺害後、その部下であった袁紹本初になだれ込まれてしまいます。人質二名を連れて逃亡するものの、董卓仲穎に遭遇し、助けを求めるものの、逆に殺害される最後を辿りました。

 蒼天航路の前半を彩る名悪役でした。以後、その役割は董卓へと引き継がれていきます。

一騎当千

 未登場です。時間軸的にねぇw 何この短さ……w

恋姫†無双

 未登場でした。ゲームの方では見た覚えがありませんが、どうやらアニメの方では登場していた模様です。ただ、自分アニメは見て無いのでなんとも……。

三極姫

 こちらも未登場です。まぁ、仕方ないね。どこに入れるんだって話だからね。

関連人物

 特になしです。宦官ですから子供も残せませんし。養子もいるにはいたようですが……。

  • 最終更新:2015-11-20 02:49:20

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