夏侯栄幼権

若さゆえの戦死

 夏侯淵妙才の子で、記憶力に優れた子だったようです。

 読書を好み、瞬間記憶に近い記憶力を持っていたらしく、名刺をちらっと見ただけで100人覚えたとかなんとか? 残念ながら彼の才能は発揮されずに終わってしまいますが。

 218年、蜀を制圧した劉備玄徳らによる漢中侵攻の際、夏侯栄も陽安関に居たためこの戦闘に参加していました。参加と言ってもおそらく手伝い程度のことだと思いますが。

 しかし翌219年の正月、定軍山にて夏侯淵が戦死した知らせを聞いた際、周囲は退却を勧めますが「父や兄弟が戦っているのに一人だけ逃げられない」と退却を拒んで劉備軍に突撃。戦死しました。まぁ、これだけ書いたら向こう見ずな若武者の無謀な突撃に感じますが、この時13歳ですからね。相当、悲愴な覚悟で突撃したと思います。

 なんでそんな子供がという話なんですが、この頃、下の名前、「字」は元服時に付けられるものですから、一応夏侯栄は成人男性で立派な大人の男子として扱われていたはずです。尤も王侯は元服が早いということなので、周囲からしたら扱いこそ大人ですが心象としては子供だったでしょう。

 基本的にこの頃は国許だからといって安全とは限らないので、幼くても連れ歩くのは割と普通でした。ですので夏侯栄が防衛戦に参加している事自体は当時としては当たり前ではあります。そして突撃してしまったのも、当時の孝の考えから行けばそんなにずれた考えでもないので、ただただ時代の生んだ犠牲者かなぁと。

 活躍も何もない人ですが、この時代がどういう時代化をよく伝えている人だと思います。

外史

横山三国志

 三国志演義に登場しない都合で横山三国志では登場しません。

蒼天航路

 登場しません。まぁ、蛇足になりますからね……。

一騎当千

 登場しません。

恋姫†無双

 登場しません。

三極姫

 登場しません。ステ、付けにくいよねw

関連人物

兄弟


  • 最終更新:2018-06-09 10:30:25

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