夏侯惇元譲

隻眼の将軍と言えば

 三国志を好きな人であれば、夏侯惇を知らない人はまずいないでしょう。曹操孟徳に仕えた武将で、隻眼というインパクト、登場する機会から人気の高い人でもあります。つい最近、お墓の発掘が行われ、埋葬品は一振りの剣だけだったそうで、清貧を好むまじめな性格であった事が伺えます。

 事実、遠征中であっても何かしら師匠を迎えては熱心に教わったとの事ですから、大したものだと思います。武田鉄矢がワイドナショーで「どこでも師匠を見つけられる奴は大成する」と言っていましたが、まぁそういう人だったのだろうなと思います。

簡単な年表

?年 師匠の敵討ちをする
?年 曹操の挙兵に付き合う
190年 反董卓連合結成。曹操孟徳徐栄と戦い兵士が一気に減ったため、周昕泰明に頭を下げて精兵をもらう。
192年 曹操が青洲兵を迎え入れて兗州中心に勢力を拡大。夏候惇は別働隊で白馬に駐屯。
194年 曹操の父が陶謙恭祖の領内で死亡。曹操は敵討ちとして陶謙を責め、夏候惇は荀彧文若と共にお留守番。呂布奉先が反乱を起こし捕虜になるも、部下の韓浩元嗣に救出される。その後、引き続き呂布との戦闘を行う中、左目に流れ矢が当たる。
200年 官渡の戦いが始まり、後詰として参戦。
?年 博望坡で劉備玄徳と交戦。劉備の策の前に敗れる。
204年 伏破将軍に昇進。
206年 并州で高幹元才が反乱。これを鎮圧する。
207年 功績が認められて1800戸追加される。税収が増えるよ!
213年 曹操、孫権仲謀との交戦で両者痛み分け。帰還中、夏侯惇に対孫権の総司令官を任命。
219年 関羽雲長戦のため曹操の下へ。
220年 1月、曹操が病死。大将軍に任命されるも、4月に病没。

曹操と対等の関係

 曹操が挙兵した時からその死まで、一貫して曹操とは対等の関係にありました。本人は部下のつもりだったようですが、曹操はそうではなかったようです。晩年は魏という国が一つ出来上がっているんですが、夏侯惇は「漢」の爵位だけを持ち、「魏」の爵位はありませんでした。これは曹操も同様ですから、どれだけ曹操が夏候惇を信頼していたかを表しているとも言えます。

 年表を見てみれば解る通り、意外と戦場には出ていません。それどころか、呂布に捕まったり、劉備に敗戦したりと、戦場での総指揮をとると割と負ける傾向があります。

 それに対して内政面では優秀であったらしく、早くから太守を任され、さらに兼任をしたり転任をしたりを繰り返している所から、領地を盛り上げる術に長けており、支配したての地や天災などで税収、暮らしが悪化している所に回されて、それを回復させているようです。実際、本人も堤防を築く際、自らもっこを担いで稲を植えるよう指導したとのことですので、ここらを見ると本当に文官だなとw

 内政面で非常に優れていたからこそ、曹操と孫権が痛み分けになった際、防備を固めると言う意味で夏候惇が総司令に就任し、その就任があったから孫権はこれ以上攻められないと判断し、臣従の意を示したと。恐らくそういう流れなのだと思います。

 昨今文官向けだったんじゃなかろうかという評価が目立ちますが、まぁ、無理もないですな。文官向けですw

三国志演義では

 正史では文官向けというか、為政者向けな面の多い夏候惇ですが、三国志演義に限らずほとんどの外史では豪傑として描かれています。中でも、呂布との戦闘時、左目に命中した矢を抜く際、眼球ごと抜いて左目を食うと言う、常軌を逸した行動は力強さと共に、豪傑であると印象を植え付けるには十分な物かと思います。

 演義で性格が変貌する、と言うのは夏候惇に限った話ではなく、まぁ割とみられる改変なのですが、なぜ変わるのかと言うと、大体は誰かを立てるために足したり引いたりされる事が多いです。そして、それが誰を立てるためかと言うと、大体、諸葛亮孔明のためです。

 魏延文長はそのいい例で、「蜀漢正統論」の犠牲として「反骨の相」というレッテルを張られ、趙雲子龍はこんな優秀な人材を使いこなせる、という有能さをアピールするため、趙家の家伝を積極的に取り入れた節が見られます。

 夏候惇の場合、博望坡での戦いは劉備の勝利でしたが、三国志演義では孔明の計略、軍師としての異常なまでの能力の高さを示す初陣扱いとなっています。博望坡の後、難民を引き連れての逃亡があり、赤壁へとつながります。赤壁での痛快な勝利を演出するために、一旦苦戦せねばなりません。

 赤壁での勝利の前に、苦戦を演出することでより痛快さが増します。その為に難民を引き連れての逃亡がある訳ですが、ここで苦戦を演出するために、孔明でさえも苦戦すると言う演出が必要でした。つまり、孔明が異常な能力を持った軍師であると演出する必要があります。その為に歴史を歪め、博望坡での勝利は孔明の物でなければなりませんでした。

 衝撃的な初陣を飾るために、前線で指揮を執ると割と良く敗北する夏候惇が相手ではハクが付きません。その為には、夏候惇が稀代の豪傑でなければならず、目玉を食ったり、徐栄を突き殺したり、高順との一騎打ちで勝利したり、関羽雲長の千里行の最後で一騎打ちを繰り広げたりと盛大に盛られた訳です。すべては孔明を優秀に見せかけんがための、壮大な前フリと言うわけです。

 この前フリは夏候惇が豪傑で、勇猛な将軍と印象付けるには十分な効果を発揮し、結果、ほぼ全ての外史において夏候惇=武将という配役に成功しました。

 三国志演義、恐ろしい子……w

外史

横山三国志

 横山三国志では読みが「かこうじゅん」となっています。江戸時代の慣例って事なんで、古い作品になるほど「かこうとん」ではなく「かこうじゅん」と読むんだとか。いつから「かこうとん」と呼ぶようになったのかは不明です。

 射貫かれた左目を食べるシーンは大幅な改変が加えられており、引き抜くところまでは同じなのですが、弓を撃った相手に対して「おのれ下郎」と一言いい放って切り捨てています。んまぁ、誰が弓を撃ったか解る距離で弓を撃つかなぁという疑問が今となっては沸いてきますがw

 その他の活躍については、実はそんなに登場回数が多くないので、あんまり印象には残ってなかったりします。それでも博望坡までの前フリとしては十分機能していますから、三国志演義の構成の熟成されぐあいには舌を巻くばかりです。ほんとに。良く出来ますぜ。

蒼天航路

 曹操中心ですのでどうしても登場回数は多くなります。特に幼年期からスタートする都合上、恐らく登場の機会だけで考えると、許褚仲康の次ぐらいに多いはずです。ちゃんと数えたことは無いのでカンですがw

 初登場は夏侯惇の師匠の敵討ちとして、爆裂団を名乗る武装集団と戦闘するシーンからでした。李烈に率いられた武装集団でしたが、曹操がこの李烈との舌戦に勝利し、爆裂団は夏候惇の部下として吸収されました。ちなみに、李烈、爆裂団、共に架空の存在ですw

 青年期が終わり、黄巾との戦闘が始まってから、兵士と兵士がぶつかり合う戦闘にはほぼ全てと言っていいほど登場し、他の外史同様、武の人として描かれます。

 隻眼になるタイミングが他の物とは大きく異なり、黄巾討伐中となっていますが、早い段階でキャラを絶たせるために前倒しになったのだろうなと思います。

 曹操に振り回されては困惑する、部下と言うよりも、どちらかと言うと友人といった距離感が心地よい名わき役ではないかなと思います。

一騎当千

 女の子と思ったかい? 残念男性だ!w

 土木課の生徒で、闘士として喧嘩して何かを壊した場合、まずそこを直す事を心がける変わり者でした。登場した当初は隻眼ではありませんでしたが、胡車児の襲撃を受けた際に左目を失っています。どこで隻眼になるかはほんと作品次第ですな。まぁ、だいたい、両目があってから片目を失う傾向にあるようですが……w

恋姫†無双

 夏侯淵妙才の双子の姉として登場します。妹がクールビューティーなのに対して姉はお馬鹿。

 記憶がちょいと曖昧なんですが、確か無印の恋姫†無双では最初から隻眼でした。真・恋姫†無双では魏ルートが追加されたため、例の目玉を食うシーンがハイライトとして追加……。食べたっけ? 食べてました。

 多分、恋姫†無双の中では一番のお馬鹿ですが、それがお話し中ではいい具合に働いていまして、魏ルートが一番面白いと言われる所以は、この人が居たからだろうなぁと思います。他ルートでもお馬鹿は居るには居るんですが、この人ほど上手くは機能していなかったように思います。

三極姫

 3までは男性でした。4では一新されましたが。頼りになる武将ではあったのですが、いかんせん男性キャラはイベントが少なく……w

 2では結構な数の掛け合いが有ったので男性でも印象に残る機会はいくらでもあったんですが、それ以外ですと夏侯惇でさえも影が薄くなってしまうと言う……。顔ありのmob武将ですからな……。

関連人物

従兄弟


  • 最終更新:2019-04-02 11:03:32

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