劉封

劉備の養子

 いつ頃養子になったのかについては不明ですが、劉備玄徳が荊州にて傭兵活動を行っている間に、養子として迎えられたようです。劉禅公嗣が生まれる前の話でしたので、当然後継ぎとして迎え入れられまして、それなりの知力と武勇を備えていたそうです。

 この人にとって不幸だったのは、この後、劉備に実子である劉禅が産まれてしまった事で、所詮は養子という事で後継者からは除外する流れになっていきます。諸葛亮孔明にも、後々の憂いになるから機会を見て除くようにと言われてしまう始末。

 後に孟達とコンビを組んで蜀の防衛に当たるのですが、この孟達とも上手くいかなかったらしく。さらには関羽雲長からの援軍を拒否し、その結果、関羽が死亡したという事で養父である劉備からも大きな恨みをもらうなど、よく人間関係をこじらせていました。養子だからなのか、それとも元々の性格なのかは不明です。

 最終的に、関羽を見捨てたという事と、守備を任されていた上庸を失った事から死罪となりましたが、もし、彼が養子でなく一武将であったなら、せいぜいが罷免や降格までで、この死刑も無かったのではないかと思います。あるいは、孟達が魏に降伏した際に一緒に降伏すると言う道を、養子でなければ取る事も出来たでしょう。いずれにせよ、養子、という中途半端な立場が彼に死を与える要因となったと言えます。

 本人もこの半端さには自覚があったらしく、自害する際、「孟達の言葉に従わなかったことが残念だ」と嘆いたとの事です。立場上、従えないんですがね。劉備はこれを聞いて涙したとの事ですが、死の間際に裏切っていればよかったと言ってしまう養子に対して泣いたのか、相手の自由を奪っていたことに対して泣いたのか……。解釈の別れる所かと思います。

三国志演義では

 正史では後継ぎがいないので養子になりましたが、三国志演義では劉禅が産まれた後に養子になります。この後はまぁ、色々あって、やっぱり関羽に援軍を送らず、劉備から死罪を言い渡されると、大体の流れは同じです。

 ただし、死ぬ間際に恨み言は言わず、また、劉備自身も一時的な怒りで息子を殺してしまった事を大いに嘆くと言う形にアレンジが施されています。いつものプロパガンダですなw

 劉備は清廉潔癖でなければならず、その関係者もまた同様に孝の道を歩まねばならんと、そういう神の手が働いた結果なのでしょう。

外史

横山三国志

 登場が比較的遅く、そこまで連載が続くことが少ないと言う都合上、数少ない活躍できる外史となっていますw 活躍と言う程でも無いけども。

 三国志演義とほぼ同様の流れを進み、孟達から裏切りをそそのかす手紙を届けられた際には怒って破るなどのアレンジが施されています。この手紙は、劉備が劉封の処刑を言い渡した直後に際に助命を請う劉封の家臣より修復されたものが提出され、劉備は慌てて中断を命じますが間に合わず。劉封の首が劉備の元に届けられる結果に。

 割と印象に残ってるシーンだったりします。

蒼天航路

 一瞬だけ登場します。本当に一瞬だけw
 
 関羽からの援軍要請が届いたけど、孟達から拒否されるそのシーンだけですw

 蒼天航路においては劉備には劉冀公徳ってぇ、蒼天航路オリジナルの後継ぎが荊州では大活躍してくれるためか、劉封の活躍は本当に無いですw

一騎当千

 登場しません。まぁ、子供はね……。関平が居るんだから居てもよさそうな気はします。

恋姫†無双

 もちろんこちらも登場しません。しないよなぁ。

三極姫

 養子なんだから居てもいいじゃないと思いましたが、いませんな。。。w 不憫な子だw

関連人物

養父

兄弟(義理)


  • 最終更新:2016-05-21 00:45:23

このWIKIを編集するにはパスワード入力が必要です

認証パスワード