公孫瓚伯珪
劉備の兄弟子
兄弟子だったと思う。学友というだけで、もしかしたら同期とかそんなのかもしれませんが、まぁ、とりあえず劉備玄徳とは古くからの顔見知りということです。盧植子幹って人のもとでお勉強をされていたとかなんとか。有力豪族の生まれで、正史に稀に書かれるイケメンの一人だそうです。
河北の覇権を巡って
公孫瓚もまぁ色んな逸話のある人のようですが、最低限、袁紹本初に負けた人とだけ覚えておけばいいと思います。
三国志演義においては、その滅亡が劉備の群雄としての再復帰のきっかけとなります。劉備よりの人なのでやや有能に書かれがちではありますが、冷静に見てみると性格に難のある人だったようです。
やや難のある性格
若かりし日は、はきはきと物をしゃべり、見た目も美男子であったということから、それでやや増長してしまったのであろうと思われます。
異民族に対する考え
「異民族は制御し難いものである故に、彼等が服従しない事を以て討伐すべき。若し今彼等に恩徳を与えたら、益々漢室を軽視するに違いない。」
ここだけ引用すると、まだ慎重な性格と考えられるんですが、この後、上司が和平のため異民族(烏丸)に送っていた財宝や食料を略奪するなどの強攻策に出ています。この時の上司は劉虞伯安でして、烏丸の間でも人気が高く、戦わずに従う人もいたほどでした。公孫瓚がこの食料を略奪しにかかったのは、袁紹と何度も戦い、負けては物資を消耗していたため、劉虞が兵糧の支給を削減した為でもありました。要は、負ける喧嘩を続けた自分が悪いのを、もっともらしく見せるためのいわゆる詭弁です。
幽州刺史時代
当然のように劉虞との仲は悪くなり、ついには捕虜とするにまでに至ります。でまぁ、このとき、朝廷は劉虞と公孫瓚双方に使者が派遣されてたわけなんですが、公孫瓚は「劉虞が皇帝を僭称しようとしたと」誣告し、劉虞を処刑、本来劉虞に任命されるはずだった幽州刺史をその使者にやらせて、裏の実験を握りました。
んでまぁ、このとき調子にのっちゃいまして「天下の事態は指で指し示しながら平定できる(=自分が全知全能の人格者、即ち聖人君子である)と思っていた」などという迷言を残したり。あ、ちなみにこのセリフは、似たようなことを蒼天航路で、死ぬ間際に述べています。
易京の戦い
袁紹との戦いで有名なエピソードのひとつに、城壁を建てまくったお城にこもって防衛していたら、地下から攻められ落城した、というお話がありまして、これは大体どんなゲームにも出てくる逸話です。んがしかし、もうひとつ語られる機会の少ないものがありまして。
とある戦いにて、味方が包囲されたのだそうで。そのときに、彼は救援を出さなかったんですね。曰く、「1人を救援すれば、後の大将達が救援を当てにして全力で戦わなくなる。今、あえて見捨てることで、他の大将達は必死で戦うはず」とまぁ、どこを押したらそんな結論になるのかと。
内側の手違いでそれを厳しく罰するのであればまだわかるわけですが、外からの害によって起こった問題に対して、それを助けないとなれば、当然、人心は離れていくわけですよ。特に戦争中に、何の落ち度も無いような人が殺されかけている時に、助けられる余裕がありながら助けないというのは理解に苦しむ行動でもあります。
この考えは当然、味方の士気をさげ、公孫瓚滅亡を早める結果となりました。
三国志演義では
劉備の引き立て役でして、趙雲子龍と引き合わせるためのかませ犬、劉備がもう一度群雄として立ち上がるためのやる気スイッチ程度の役でした。
外史
横山三国志
三国志演義準拠ですので、劉備の奮起役でとどまります。残念ながらイケメンではなくヒげだるま。
蒼天航路
こちらもイケメンではなくヒゲダルマ。公孫瓚が男前に描かれたのって、たぶん三国志大戦だけだと思うw
劉備のいい先輩、という感じの役割でしたが、群雄としての奮起を促すようなところまでの影響はありませんでした。
一騎当千
しーさんが劉備の元にすでにいる都合上、未登場となってるようです。
恋姫†無双
白蓮(ぱいれん)って真名で登場。白はたぶん、公孫瓚が白馬を好んだところからでしょう。影は薄かった。仕方ないね。
三極姫
にしてもちびっこの多いゲームだ。本当に。
- 最終更新:2014-11-05 05:25:09