袁術公路

偽の皇帝

 勝手に新王朝を立ち上げたために「偽帝」と呼ばれる人です。ほかにもいっぱい居そうなものですが、今の所中国史において、はっきりと偽帝と明言されたのはこの人だけのようです。

 っていうか、勝手に新王朝を立ち上げたからって理由なら劉備玄徳孫権仲謀も該当する気がせんでもない。

なぜ彼だけが偽帝と呼ばれるのか

 勝手に新王朝を立ち上げただけならば、三国時代に限らずそれこそ山のようにいると思われるのですよ。にもかかわらず、彼が「偽帝」と呼ばれる理由は、一重に人心が大きく離れていたため、誰も望まない皇帝僭称であったためと考えられます。

元は名家の生まれ

 袁紹本初と同じく袁家の生まれで、しかもこちらは妾の子の袁紹と違って、ちゃんとした血筋なんだぞどーだすごいだろう。

 ……っていう性格の人です。生まれや家柄、地位と名誉にこだわる、どっちかっていうと薄っぺらい人です。中身の伴わない勢力ではありましたが、反董卓連合の直後、最も天下に近い人でもありました。何故か。周りが長いものに巻かれていたから、ですね。

実力と妬みと

 反董卓連合においては重要な役割を担っていたと思われます。袁紹の親族というのもありますが、実力者として認められていたからこそのポジションだと言えます。が、この実力も家柄による下駄の部分が非常に大きく、生まれは悪くとも実力を持っている曹操孟徳、強力な軍隊を備えていた孫堅文台、そして最大のライバルである袁紹本初らの前に徐々に霞んでゆきます。

孫堅文台との出会い

 董卓の横暴から逃げ南陽にたどり着いた頃、南から北上してきた軍がありました。孫権率いる一軍でして、日和見を決め込んでいた腰抜けを次々とぬっころしては吸収して進軍してきており、非常に勢いがありました。袁術は彼を抱き込んで、新しい役職を上表し、配下として迎え入れることに成功します。

 この孫堅文台。のちの呉の王、孫権の父親なのですが、非常に優秀な人で、黄布の乱の時にも功績を立て、董卓と対立したこともある人でした。この優秀な人材を配下に抑えられたのはまさに僥倖っ・・・! のはずなんですけど、ここで袁術は側近から孫権の悪口を吹き込まれ、兵糧を送らなくなってしまいます。当然、これに孫権は怒り、「こっちは体張ってんねん。そっちも体張れやボケェ」と言ったとか言わなかったとか。この辺りの下りは三国志演義に取り入れられ、袁術が反董卓連合で兵糧の管理をになっていたとされたのだと思います。実際に誰が兵站を担当していたのかは不明ですっていうか調べきれてません。サーセン。

袁紹との対立

 何進の敵を打つあたりまではまだ仲の良かったふたりでしたが、時代を経るに従って、徐々に対立を深めてゆきます。まぁ、もともと袁紹に対して出自の悪さを理由に、事あるごとに誹謗中傷してたらしいので、当然っちゃ当然なんですが。

 対立が目に見えてきだしたのは、袁紹が韓馥文節と共に、董卓が擁立された献帝に対抗するため、劉虞伯安の擁立を計画しました。が、袁術はこれに強く反発しました。袁紹の提案だからというのもあったのでしょうが、漢室の存続そのものに疑問を持っていたため、というのが一番の理由のようです。

 そして孫堅。抱きかかえた際、豫州刺史に任命し軍を預けたわけですが、袁紹はこれを無視して周喁を派遣してきたため、周喁・周昻周昕泰明と豫州の奪い合いが始まり、これにより対立が決定的になります。で、袁紹と敵対する公孫瓚伯珪を取り込んだり、対する袁紹は劉表景升を取り込んだりと、2つの派閥が大きく形成されていきます。この当時、天下の主役はこの二人であったと言っていいでしょう。

皇帝僭称と没落

 元々漢室の存続に疑問を持ってい訳ですが、ここで讖緯書『春秋讖』に書かれていた「漢に代わる者は当塗高なり」を読んで、当塗高は自分だ! と中二病をこじらせた結果自ら皇帝を名乗ってしまいます。この皇帝僭称にはあらゆる諸侯はもちろん、家臣からも反発するものが現れました。

 前述のとおり、生まれの家柄などにはこだわりを持つ人でしたが、どういう世の中を作ろうとかそう言ったイメージを持たず、ただ地位の上昇だけを求めた皇帝僭称でした。よって、皇帝だからこのぐらい当たり前と言わんばかりの贅沢、放蕩を続けたため国内の税率は上がり、民衆も兵士も大いに苦しみました。このあたりが偽帝と呼ばれる所以となっていると思われます。他の人たちはそれなりに、ちゃんと政治を行っていたようですので。

 運営の具体的なイメージのないまま始まり、放蕩を繰り返し、人が去っていく勢力は当然衰えます。ましてやロクな政治をしなければ、他からは「悪であるためぬっころしても良い」という大義名分を与えるようなものです。しかし本人は自分が皇帝だと思い込んでしまっているので、身の程知らずにも曹操と戦争をしてしまい、主戦力を大幅に失ってしまいます。あんな公式チートと戦うからや。

 結局この敗戦の後は鳴かず飛ばすで、最終的には病死します。

余談

 はちみつが大好き。この好物のせいで外史でえらいことになる。

外史

横山三国志

 演義準拠ですので、正史とはやや異なった流れを辿ります。皇帝を名乗った。そのためには、周囲(とういうか観客というか見に来てくれたお客さんというか)を納得させるだけの説得力のあるアイテムが必要です。ここに玉璽というものが登場してきまして、さらに、洛陽一番のりの孫堅を従えていた、というところから、孫堅が玉璽を洛陽で拾っていて、それを死ぬ前に息子の孫策伯符が手にしていて、その玉璽と引換に兵士を返す、っていう綺麗な流れが出来上がります。

 で、玉璽を手に入れて調子にのった袁術は、総スカンを喰らい、まぁ後はだいたい正史と同じ流れをとります。この玉璽をめぐる話がロマン溢れる見所なんです。後でまた出てきますし、よくできたお話だなぁと。

蒼天航路

 こちらも演義準拠ですので、孫策から玉璽を入手し、皇帝を名乗ります。まぁ、その辺からキャラ崩壊が始まりまして、どんどん猿に近づいていくわけですよw もうあの、羽柴秀吉をサルっていう例えじゃなくてw 最後のコマとか服をきた猿でしたからw

一騎当千

 名前だけ登場です。漫画はどうなんだろう? あー、ミイラだったかな。なんか画面にちらっと出てきたような気はしています。まぁ、孫策の踏み台……の踏み台でしたw

恋姫†無双

 蜂蜜のせいでロリっ子に。ロリっ子なので極めて子供っぽくおバカ。

三極姫

 蜂蜜のせいでロリ。そしてお馬鹿と。恋姫影響なのかそれとも宿命なのか。なお、袁紹もこの煽りをうけてロリに。ついでに公孫瓚伯珪もロリに。

 すべてハチミツが悪い。

関連人物

従兄弟


  • 最終更新:2016-02-14 12:11:59

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